行間に物語を込められない

創作小説

創作における無駄を省くということ

 最近、毎週言ってますが、私の作品は長いです。

 そして、長くなるのが、本当はとても嫌なのです。言われても困るでしょうが、本当にとても嫌なのです。

 何故嫌なのか。そりゃあもちろん疲れるからです

 私もですし、きっと一番疲れるのは私の作品を読む方々です。

 だいたい、長い文章は短い文章に比べて、当たり前ですが”読む”のも大変になります。先程私も”疲れる”と言いましたが、それは単純に体力的な疲れです。それは良いのです。寝れば治りますので。

 ただ、読み手の皆さまは違います。そもそも、娯楽としての読書で疲れるなんて、あり得ないと思うのです。

 娯楽なのに!パン!疲れるなんて!パン!あり得ない!パン!

 ただ、私のような語彙も、体内に蓄積された読書量も極少な人間からすれば、文字数という表現量を増やして読んでくださる方に伝えるのはある意味とても安心感があります。前回の「アウトの糞読解力」の書き手版「はいじの糞表現力」という感じです。

書いたから!私書いたからね!もっちろん通じてるよね!だって”書いた”もんね!

 ウザいですね~~。これは読むほう疲れるよ~~

 書かないと不安なので、書いて不安を払拭するというのは、正直言って読む方々に負担を負わせている状態なので健全ではないと思います。

 私の目標は出来るだけ無駄を省いた上で、それで尚、登場人物の人達の気持ちがスッと難なく入り込んでくるようなお話を書けるようになる事です。

 

登場人物達と読み手の方が関わる時間も大切 なのでは?論

 ただ、それと相反する私の中のちょっとした持論がありまして。

 それは「物語の登場人物と読み手の方々との付き合いの長さもやっぱり重要なのでは?」と言う持論です。

 

 結局、物語の人々も、現実世界の人々と同じで共に過ごした時間の長さに比例して相手への感情移入の具合も変わると思うのです。

 関わっていくうちに「この人ってこういう人だもんな。だからきっと悪気はないんだよね」みたいな相手との付き合い上の経験則に基づいた感情の余白から、相手を許せたり、逆に許せなくなったり、はたまた助けてあげたいと思ったり。様々な感情が生まれていく。

 

 それを、私は物語の登場人物読者様の間にも築きたいと考えています。時間は偉大です。長い文章に付き合っていく、その読むのにかかった時間の分だけ、登場人物との間に感情移入も生まれる。

 そう思っているところもあるのですが、これはマジで書き手の勝手なエゴですので、まぁ、その辺の葛藤が昔からありつつ書いています。

 

 ただ、結局その持論だと”短編“だと魅力的なキャラクターが存在しないという、有り得ない世界線に来てしまったことになるので、やはりコレは圧倒的に書き手の技量の問題ですね!パン!最初に戻って繰り返す!ダ・カーポ!

 

 時間をかけないと魅力を表せない事はない筈なので、とりあえず仕事中に打開策でも考えながら過ごそうかと思います。

 しかし、まぁ、まぁね。

 無駄を省くという事は次回、新しい作品を書く時の目標にします。もう【前世のない俺】は、この調子で、ね。うん、ね。ほら、急に迷走して作品が謎の極みになっても困りますし。

 世界ってそういうもの。ダイエットは明日から頑張るし、運動も明日から頑張るし、資格の勉強も明日から。何もかも明日から明日から、そして次回から!

 

意外にも書きたいモノは沢山あるのです 

 次回は【御免こうむります】を終わらせようと思っていたのですが、書きたい別のものがあります。悪役〇〇モノに挑戦したい……。多分めちゃくちゃ流行ってたのは、もうちょい前なのでしょうが、私はトレンドに乗るのが遅いので。悪役〇〇モノで2つ程書きたいものがあるのです。

 私は主人公は男の子が良い派(うっすらとは言えBL小説の書き手なので)なのですが、悪役といったら令嬢って感じですし、悪役令息モノは読んだことないので基礎知識がないし。

 

 まぁ、ひとまず今書いてるものを晩秋くらいまでには終わらせる雰囲気で頑張っていこうと思います。

 ともかく、久々に小説が書けてとても楽しい私なのでした。

 

 そして、あぁ、もう。ブログも長い。

 

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